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Official TweetTweets by uma_musu |
最終更新日時:2025-10-08 (水) 18:34:25
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| 画像 | プロフィール | |
|---|---|---|
![]() | 名前 | ミスターシービー |
| CV | 天海由梨奈*1 | |
| キャッチコピー | 何にも縛られない! 天衣無縫の陽気なウマ娘 | |
| 学年 | 高等部 | |
| 所属寮 | 一人暮らし | |
| 誕生日 | 4月7日 | |
| 身長 | 166cm | |
| 体重 | 増減なし | |
| スリーサイズ | B84・W55・H80 | |
| 自己紹介 | ||
| レースにしかない風があるんだ。軽くて、 澄んでいて……自由気ままな追い風でね。 ――アタシはミスターシービー。よろしく。 | ||
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クラシック三冠を成し遂げたウマ娘の例としてシンボリルドルフ、ナリタブライアンと共に名を挙げられた。
ミスターシービーは1982-1985に活躍した競走馬
1983年のクラシックレースをすべて制し史上3頭目の三冠馬に輝いた名馬である
彼の存在には日本競馬のロマンが詰まっている
そんな馬である
主戦騎手は吉永正人。母シービークインにも騎乗しており、引退まで一貫して手綱を握った。
吉永騎手は追い込みや逃げなど極端な作戦を取る個性派の騎手で、ミスターシービー以外では82年天皇賞(春)など重賞5勝を挙げたモンテプリンスなどが代表的な騎乗馬である。
クラシックでは雨の皐月賞をひとまくりにするレースで制し
当時20頭を超える頭数で行われており「第一コーナーを前10番手以内に居なければ勝てない」と言われていたダービーも
そのダービーポジションと言われていた位置の遥か後方から一飲みにして制覇「父を完全に超えました」と言われた
菊花賞は当時は「淀の坂は抑えて登り抑えて下る」がセオリーであったにもかかわらず
下りから一気に加速すると直線で先頭に立ち、追い込み馬にもかかわらず直線では「ミスターシービーが逃げる逃げる」とアナウンスされた
杉本清アナウンサーが一気に進出してくるシービーに対し発した「大地が弾んでミスターシービー!」言うフレーズが有名
とにかくそれまでの常識が通用しない型破りなレースで三冠を制した
その年の残りは批判もあったが休養に当てたのだが翌年の春先に爪先が悪化し春は全休となった
毎日王冠で復帰するも京都新聞杯でも破れ、その年の宝塚記念を制していたカツラギエースに屈する2着
しかし続く天皇賞秋では巻き返しシンザン以来続いていた1番人気の連敗を19でストップさせ四冠目を獲得した
続くジャパンカップには一つ年下でシービーに続き2年連続で、しかも無敗で三冠を制していたシンボリルドルフも参戦してきて話題になった
しかし、ルドルフは中1週の強行軍であり、さらにレース前に下痢を発症し本調子ではないとされ
シービーが1番人気、ルドルフは3番人気となった
また4回を数えるジャパンカップも過去全て招待馬に屈しており今年こそはと期待された
かくして、その期待通りに日本馬が制したのだが勝ったのは10番人気だったカツラギエースであった
シービーはバテて下がってくる馬を見て仕掛けどころを判断していたと言われており
流石のジャパンカップにはバテて下がってくる馬がおらず走る気を見せなかった自分の作戦ミスとジョッキーが語っている
続く有馬記念でも一番人気指示されたが先行策を取ろうにもシービーが進んでいかず
結局直線で追い込むもカツラギエースを千切り捨てたシンボリルドルフはおろかそのカツラギエースも捉えられず3着に敗れた
翌年も現役を続けたが大阪杯を2着、天皇賞春で三度ルドルフに敗れる5着の後、故障を発生し引退となった
三冠馬のシービーが一つ下のルドルフに敗れていたためシービーは同世代が弱かったと当時は言われていたが
実際は同期にはルドルフを破っているカツラギエースやギャロップダイナ、短距離にはニホンピロウイナーなど
他にもたくさんの活躍馬がおり世代レベルとしてはルドルフのほうが他の馬は弱かったと言える
ルドルフのクラシック以降の2着馬は最後のジャパンカップが同世代のロツキータイガー、有馬記念は一つ下のミホシンザンだが
それ以外はすべて一つ上の世代だったりする
容姿においても非常に評価の高い馬で大きくて澄んだ瞳をしており
牡馬にしては小柄で牝馬のような中性的な美しさを持っていたと言われている
中性的な点はウマ娘にも引き継がれているのだろう
父トウショウボーイが現役時には日本一の美男子と言われるほどであり
父のバランスの良さと母シービークインの瞳を受け継いだと言われている
引退後は祖父のテスコボーイ、父のトウショウボーイとは違い社台ファームに迎えられ種牡馬になった
初年度からヤマニングローバルを筆頭に3頭の重賞馬をだすと元々の期待が一気に爆発しバブル景気も後押しして種付け料は高騰した
しかし、その後は低迷し、トニービンやブライアンズタイム、そして極めつけにはサンデーサイレンスの登場により
シービーは巻き返せないまま種牡馬を引退した
シービーの種牡馬失敗は一気に高騰してしまった種付け額と共に、その額のせいでそこそこ走っても評価されなかった点など
人の手によるものという見方が強い
種牡馬引退後は故郷の千明牧場*2で余生を送ったが
牧場に戻ってほどなくして蹄葉炎を発症し死亡した
牧場には母のシービークインがまだ健在であり牡馬が母親と再開できるのは競争馬としては非常にまれである
(父親とは種牡馬として同じ牧場に配属されたりすることはまあある。サンデーサイレンスの息子たちとか……。
あと繁殖にあがった娘が母と同じ牧場に戻ることとかもまあある)
1970年代日本は世界に追いつけをスローガンに種牡馬の輸入を進めていた
各大牧場も独自に種牡馬を輸入しており中でもノーザンテーストという大当たりを引き当てた社台ファームが一歩抜きに出ていた
だが日高の中小牧場に種馬を提供する日高軽種馬組合にもなかなかにやる馬が居た
テスコボーイと言うその馬は軽快なスピードを子供たちに伝え活躍馬を出しながらも
組合の規定により種付け料は据え置きと言うこともあり多くの中小牧場を救い「お助けボーイ」と呼ばれ
「神様、仏様、お助けボーイ様」「神様より尊い」とあがめられるような存在であった
数々の活躍馬を出したテスコボーイ、中でも最高傑作と言われたのが「天馬」と称された馬、トウショウボーイである
トウショウボーイはその名の通り藤正牧場で生まれたのだが当時から評判は高く
腰に甘さを抱えていたにもかかわらず「G1の一つや二つは取るだろう」とまで言われていた
トウショウボーイはそんな前評判の通りに皐月賞であっさりとG1を制覇すると
その後も、テンポイントやグリーングラスと共にTTGと称され、激闘を繰り広げながらも宝塚記念と有馬記念を制し
速く見えないのに沈み込むようなフォームから飛ぶように走り凄まじいスピードを誇ることから「天馬」と称された
種牡馬入りの際には激しい争奪戦が繰り広げられたものの日高軽種馬協会が「我々にはテスコボーイの血を繋げる義務がある」とし
トウショウボーイの馬主から出された破格とも言える厳しい条件を飲みこんで獲得した
ちなみにこの時の輸送に天馬に相応しくと言うことで初めて競走馬の空輸が実施された
かくしてトウショウボーイは日高軽種馬協会入りしたわけだが
先述のように当時の日本は輸入種牡馬の全盛期であり内国産馬は軽視されていた
それこそ圧倒的競争成績を残したシービーのひとつ前の三冠馬シンザンや
種牡馬入りまで視野に入れて日本で生まれた持ち込み馬のマルゼンスキーでないと相手にされなかった
なんとかある程度の種付け頭数は確保したものの牝馬の質はお世辞にも良いものではなかった
そんなときひょっこり一頭の一流牝馬がトウショウボーイの前に現れたのである
その馬こそがミスターシービーの母のシービークインであった
シービークインもデビュー前から期待されておりG1には手が届かなかったが
牡馬に交じって毎日王冠を勝つなど素晴らしい成績を残した牝馬だった
実はこのシービークイン、トウショウボーイと同じレースでデビューしておりシービークインをぶっちぎったトウショウボーイに痺れた馬主が
いつか2頭の子供が見たいと心に決めていたのである
とは言え最初は実績のあるテスコボーイをと思って連れてきたらしいが
テスコボーイは協会の人気種牡馬でありシービークインのオーナーは協会員ではなく種付け権を確保できなかった
そんなわけでじゃあトウショウボーイはダメかなーと連れてきたのである
ちなみにトウショウボーイも協会員でないとダメだったのだが当時の担当者が
こんな一流牝馬トウショウボーイの為にも逃すべきではないと判断し種付けが行われた
もちろん、担当者はこっぴどく叱られたのだが、この時生まれたのが後の三冠馬ミスターシービーであった
トウショウボーイはミスターシービー以外にも次々と活躍馬をだし評価を一変させ一気に人気種牡馬に駆け上がった
最終的には亡くなる直前には3年連続でノーザンテーストの直後の2位につけるほどであり
特に勝ち上がり率が高く「クズを出さない」と言われ子供たちは飛ぶように売れ
しかも協会の規定により種付け料は安価で据え置きという非常にありがたい存在となり
日高の多くの中小牧場を救い父同様に「お助けボーイ」と呼ばれた
ちなみに最近の三冠馬であるコントレイルを除くと牡馬の三冠馬にはすべて重賞を勝った兄弟*3が居るのだがミスターシービーにのみ居ない
これはミスターシービーの母であるシービークインが翌年の出産時の事故で以降受胎出来ない身体になったしまったためである
つまりミスターシービーはシービークインのたった一頭の子供なのである
シービークインはトウショウボーイに操を通したのだとよく言われる
代表産駒は上にも書かれているがヤマニングローバル
この馬、デビュー3連勝でデイリー杯を制すなど非常に期待されたのだが骨折してしまう
しかも普通の馬なら安楽死を取られてもおかしくないほどのものであり
デビューから3戦の手綱を取った武豊をして「来年のG1を4つ損した(三冠+有馬記念)」と言われたほどの馬だった
割れた2本の骨をボルトで固定するという手術を施され一年以上の休養を経て復帰したのち
G2を2勝、バカ逃げコンビに翻弄されテイオーが沈んだ天皇賞秋で3着に入るなど活躍した
故障さえしなければと思わずにはいられない馬であった
この手術はヤマニングローバルにとって祖父に当たるトウショウボーイのライバルであったテンポイントに施され失敗した手術でもあった
(テンポイントのときは馬体重を支え切れずボルトが歪んだらしい)
その時の経験が活かされたのかもしれない
ヤマニングローバルは種牡馬入りしたのだがサンデーサイレンス旋風などにより人気も出ず
デビューした産駒も僅か12頭に留まりトウショウボーイの直系は途絶えている
ちなみにテスコボーイの直系はサクラユタカオー→サクラバクシンオーを通じて現在も残っている
一番のライバルであった同期のカツラギエース(4勝4敗)の墓には「もう一度、君とミスターシービーとの対決を」と刻まれている
『シンデレラグレイ』にも登場。15巻の表紙担当。同じ追込ウマ娘としてのよしみか、イナリワンに絡む場面が。
| 名前 |
|---|
| ミスターシービー |
| 名前 | レアリティ | 実装日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| [Clear Bliss]ミスターシービー | ★3 | 2023.02.24 | |
| [絢爛花道歌舞く君]ミスターシービー | ★3 | 2024.12.27 |
| 名前 | レアリティ | 実装日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| [トレセン学園]ミスターシービー | R | 2022.05.10 | |
| [Dear Mr. C.B.]ミスターシービー | SSR | 2022.05.10 |
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