最終更新日時:2025-05-26 (月) 14:33:21

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プロフィール Edit Edit

制服プロフィール
テイエムオペラオー.png名前テイエムオペラオー
CV徳井青空*1
キャッチコピー尊大なる歌劇王。
その哄笑は高らかに!
学年中等部
所属寮栗東寮
誕生日3月13日
身長156cm
体重常に完璧(自称)
スリーサイズB76・W55・H80
自己紹介
はーっはっはっは!ボクこそが最も
強く美しい"覇王"テイエムオペラオーさ!
いざ、伝説を始めようじゃないか!

他立ち絵 Edit Edit

詳細情報 Edit Edit

  • 寮の同室はビワハヤヒデ
  • 尊大ながら他者へのリスペクトを忘れない。
  • こう見えて実家は一般家庭。
  • 入浴タイムはバラを浮かべている。
  • 歌劇の合間に人生やってる系ウマ娘

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ボイス Edit Edit

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ヒミツ Edit Edit

  • テイエムオペラオーのヒミツ①
    実は、耳飾りのデザインを
    1度だけ大きく変更したことがある。
  • テイエムオペラオーのヒミツ②
    実は、愛用の手鏡は
    小学生の頃から使い続けているもの。

アニメ Edit Edit

  • 1st Seasonより東条ハナ率いるチーム<リギル>の一員として登場。
  • 『BNWの誓い』ではチームNのメンバーとして登場。俺、参上!
  • うまよんではミュージカルを披露していた。
  • TVシリーズとは異なる新作配信アニメ『ROAD TO THE TOP』に登場、ナリタトップロードを軸としつつもアドマイヤベガと共に群像劇の主役格の1人となる。
    • 設定が異なるのかリギルのメンバーではなく、ドトウにサポートしてもらいつつトレーニングしている。
    • まだG1未勝利の過酷なローテーションで皐月賞にギリギリ間に合わせようとしている、という状態からスタート。そのため憔悴した姿が見られたり、OPでは勝負服を着たオペラオーの前に立つ鏡には制服姿のオペラオーが写る、皐月賞のラストスパートでは死に物狂いの表情で全力疾走…と、覇王というキャラ付けの下にある1人のウマ娘としてのオペラオーの姿が見られる。
    • 1話では食堂でオグリキャップと出会い、「皐月賞に出るべきだ」「良い勝負をすると思う」など激励されるが、これは後述の史実におけるクラシック追加登録のエピソードから。制度発足のきっかけがオグリであり、またオペラオー陣営はかつてオグリを担当した瀬戸口調教師から上記の言葉をかけられた事で追加登録へ踏み切った。
    • 2話ではダービーのゲートイン前にド派手な口上を述べるが、これは史実でゲートインに時間がかかった事がネタ。
    • 3話の合宿回ではナリタトップロードがダービー敗北とファンの期待に、アドマイヤベガは自らの異常に潰れかけるシリアス回の中でマイペースに合宿を楽しむコメディリリーフを担当。ウマソウル内のリュージ要素が強めに出てる。とはいえその2人を観察し続けておりオペラオーなりに2人を案じている言動も絵が描かれている。
  • 劇場版『BEGINNING OF A NEW ERA 新時代の扉』ではらふたつ下の世代のジャングルポケット達が主役なためラスボスに抜擢。これまで映像作品ではコメディリリーフ枠が多かったオペラオーだが、予告PVではグランドスラム達成の場面が公開、文字通り覇王となったオペラオーを見せている。

元ネタ Edit Edit

2000年 有馬記念
勝ち続けると、すべての馬が敵になる。
その馬は、完全に包囲された。
道は消えたはずだった。
テイエムオペラオー。お前はなぜ走れたのか。
『年間全勝のレジェンド』
その戦いに、人は夢を見る。
「さぁ、夢を見よう」
〜2013年JRA 有馬記念 CMより〜

テイエムオペラオーは1998年から2001年末まで活躍し、生涯において一度も掲示板を外さず、数々の伝説を作り上げた競走馬である。

同期はクラシック三強のアドマイヤベガナリタトップロード、古馬以降の被害馬ライバルとなるメイショウドトウ
鹿児島の建築・土木用資材メーカーの社長である竹園正繼によって、最低価格の1,000万円で競り落とされた。
竹園氏の幼馴染でもある栗東の岩元市三調教師*2に預けられ、同厩舎に所属する若かりし頃の和田竜二騎手が一貫して騎乗する事になる。

デビューは1998年夏で新馬戦を2着とするが、そこで骨折が判明し休養。
休養明けの未勝利戦では4着とするも、次戦で勝利。条件戦でも連勝し、毎日杯(GIII)でも難なく勝利するのであった。
そして皐月賞……なのだが、馬主が新馬戦でのケガを気にして皐月賞に出走させるつもりがなかったらしく、クラシック登録を行っていなかったのである。

しかし、オグリキャップの活躍で新たに定められたクラシック追加登録制度により、
陣営が馬主を説得したうえで追加登録料を支払い、皐月賞に出走。強烈な追い込みを見せて勝利する。
調教師の岩元氏はなんなら自分が追加登録料100万を負担してもいいと説得したらしい。
またオペラオーはこのレースを10番手以降から追いこんで制しているが
岩元氏は基本的には強烈な加速をする差し追込は馬の脚に大きな負担をかけると忌避しており
和田騎手は勝利したにもかかわらず怒られたらしい。
以降その年ではライバル達や一つ上の世代相手に、勝ちきれなかったレースが続いた。
それでも古馬相手に全く退けを取らない強さを見せつけ、当時における最優秀4歳牡馬に選ばれた。

そして2000年において本格化したオペラオー。
京都記念(GII)でトプロをクビ差で差し切り、阪神大賞典(GII)でラスカルらを相手に快勝、天皇賞春でも余裕をもって連戦連勝。
宝塚記念にて初の対戦となるドトウをクビ差で差し切り、京都大賞典(GII)でトプロをアタマ差で競り勝つ。
秋の天皇賞では一番人気のジンクスをぶち壊して圧勝。ジャパンカップでは海外の刺客ファンタスティックライトをドトウと共に討ち取り勝利。
有馬記念では負傷で片目が塞がってる状態なうえ、ほとんどの騎手から徹底的にマークされて包囲網を敷かれるレベルであったが、それを突破してドトウをハナ差でかわし圧勝。
2000年における古馬王道路線完全制覇。年間全勝、秋古馬三冠を達成。
竹園オーナーはこのレースを「馬も騎手も涙が出るほどかわいそうだった」と語っている。
年度代表馬並びに当時の最優秀5歳以上牡馬に満票一致で選ばれた。
20世紀終わりでの活躍から『世紀末覇王』とも呼ばれた。

翌年では調整不足でゆるんでしまったのか産経大阪杯(GII)では4着となるも、次の天皇賞春を勝利、天皇賞春秋3連覇を達成する。
しかし、宝塚記念では有馬記念以上にマークされてしまい、ついには包囲網を抜けきれずにドトウの先着を許し2着。
秋以降においてはステイゴールドに先着を許し(たが悪癖の斜行によってオペラオーに接触、それに巻き込まれたトプロが落馬する事故が起きたため失格。繰り上げ1着)、
アグネスデジタルによってドトウ共々引導を渡され、そしてジャングルポケットマンハッタンカフェらに敗れ、世代交代を印象付けることとなり引退。
メイショウドトウも引退することになり、合同の引退式が行われた。

GI7勝 皇帝シンボリルドルフと並ぶ。
レースでの獲得賞金は当時世界最高額の18億3518万9000円(これに秋古馬三冠の報奨金などは含まれていない)
JRA重賞最多勝 12勝 オグリキャップと並ぶ
JRA平地重賞8連勝は史上初
JRA史上最初の4大競馬場(東京、京都、中山、阪神)制覇
春秋グランプリ制覇 イナリワンメジロパーマーグラスワンダーに次ぐ4頭目
初の天皇賞3連覇(春→秋→春)
春秋連覇はタマモクロススペシャルウィークに次ぐ3頭目、秋春連覇はスーパークリークに次ぐ2頭目、春二連覇はメジロマックイーンに次ぐ2頭目
GⅠ6連勝は日本調教馬では初(後にロードカナロア、イクイノックスが達成。他の重賞負けを挟まない場合はイクイノックスが初)

2004年にてJRA顕彰馬に選出。殿堂入りとなった。

そんな大記録を打ち立てたオペラオーであったが、当初の競馬関係者からの人気はなかった。
血統はパッとせず、牧場も小規模、騎手は若手だし、派手な勝ちはなく、勝ちパターンは同じ、遠征もせずで面白みがないとまで言われていた。
さらに毎回ドトウとのワンツーフィニッシュばかりだった為に馬券が低配当になる事も問題だった。この当時は3連復やワイドなどの3着が絡む馬券が無かったため2着までが固定されてしまうと一攫千金狙いの馬券師からすれば面白みも旨味もなくなってしまうという点もヘイトを溜める要因となった。
とはいうものの非常にタフで賢く、更には勝負根性が強いうえに競り合いになったときの強さは誰にも劣らなかった。デジタルもオペラオーとの競り合いを全力で避けていたし
彼に先着した馬で2度以上も許した馬はナリタトップロードとメイショウドトウといった同世代のライバルのみだった。
さらに同世代のドトウ、前世代のグラスワンダーエルコンドルパサー、次世代のアグネスデジタルなどこの当時は外国産や持込馬、所謂マル外馬の活躍が目立った時期であり、もしオペラオーが居なければドトウが古馬戦線を蹂躙していたと考えると、この時期の目立ったGⅠ勝ち鞍がマル外ばかりになっていたという、日本調教馬全体の評価すら揺るがしかねない状況をオペラオーが繋ぎ止めていた、と見る事も出来る。

現在でも古馬路線にて年間無敗を達成した馬はおらず、秋古馬三冠もゼンノロブロイのみ。キタサンブラックもついには届かず。かの英雄や最強牝馬ですら無敗で走り切ることが敵わないのである。
現状では出走レースを絞り、古馬王道路線を皆勤する馬が出てこない中で、この過酷なローテーションを2年以上皆勤できたのはテイエムオペラオーとステイゴールドのみである。
賞金王争いでも後進が徐々に追い抜いているが、年が進むにつれてレースの賞金が増額されている上に海外レースの選択肢などの状況変化も大きい。実際オペラオーより稼いだ馬の内キタサンブラック以外は何かしら海外レースの勝ち鞍を持つ。2023年にはイクイノックスが総獲得賞金22億を叩き出したが、もし2023年当時のレートで獲得賞金のランキングを作った場合、オペラオーの獲得賞金ははなんと33億円に相当する。時代の違いを考えたとしてもいかに規格外の結果を叩き出したのかがうかがえる。
2024年11月末時点ではドウデュースが海外勝利無しで17億円台後半まで稼いでおりオペラオーに次ぐ順位に迫っている。更に2025年2月末時点でオルフェーヴル産駒のウシュバテソーロがオイルマネー込みで25億円台に到達、フォーエバーヤングが4歳上半期で中央獲得賞金720万に加え21億台を稼ぎ出している。
が、いずれにしても「20年以上経ってなお賞金ランキングのトップ10に居座り続ける20世紀生まれ唯一の馬」として、賞金ランキングが注目される度に再注目されている。
そんな彼だが、晩年の彼を撮った写真ではのほほんとした表情でくつろぐ顔がまるでラクダのようで、ネット上では「ラクダのおっちゃん」「テイエムラクダオー」などと呼ばれたりしている。なおそんな彼の全盛期がどうだったのかはここまで記載した通り。なんなんだこのラクダ。

産駒はオペラオー同様、古馬以降から本格化する傾向ではあるがその強さまでは引き継がれずにいる。
父オペラハウスと同じく障害競走において活躍している馬は出ている。
というか、馬主の竹園氏がなんだかんだで和田騎手を乗せ続けたりと無駄に男気にあふれており
オペラオーの血を公平に提供したいと社台スタリオン入りを断っており繁殖牝馬の質が今一つだったため
その割には健闘したと言える。

馬主の竹園氏はその後、セリで競走馬を購入する際はオペラオーの馬体を理想とし
それを参考にして購入しているらしい。
そんな氏の選馬眼に見いだされ、活躍した馬の一頭がテイエムプリキュア。
競りかける相手が一人もおらず、250万円という最低価格で落札された同馬は、デビュー3連勝でGI阪神JFを制覇。
その後長く勝利から遠ざかっていたが、引退レースとして選んだ日経新春杯で復活勝利。
引退を撤回して現役を続行し、エリザベス女王杯でクィーンスプマンテと共に大逃げを打って、最強牝馬ブエナビスタを凌ぎ2着に入るという大波乱を演じた。
???「なしてー!?」 ???「ぶっちゃけありえないですわー!!」

2018年5月17日に心臓麻痺で死去。22歳没。
アニメでウマ娘が放映されていた時期でもあり、前月に亡くなったスペシャルウィークの後を追う形となってしまった。

その訃報を聞き、心に火が付いた和田竜二騎手は、オペラオーが亡くなった1ヶ月半後の宝塚記念をミッキーロケットで勝利。
2001年天皇賞(春)以来、実に17年ぶりに中央GIを制した*3
勝利騎手インタビューでも「(天国の)オペラオーが後押ししてくれた」と涙ながらに語ったシーンが非常に印象的である。

こぼれ話: 秋天のジンクス

その他 Edit Edit

  • 漫画「シンデレラグレイ」でも1コマだけ後ろ姿で登場。オグリキャップのクラシック出走を巡る騒動の結末として、シンボリルドルフが語る「いつか私達が見る『夢』」…即ちクラシック追加登録ルールを用いて勝利するウマ娘であるオペラオーが描かれた。
    • その後、ロードトゥーザトップでもクラシック追加登録を元ネタとした会話が描かれているのは上述の通りである。

関連リンク Edit Edit


ウマ娘 Edit Edit

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*1 『ラブライブ!』矢澤にこ役など。
*2 騎手時代、バンブーアトラスで82年日本ダービーを制覇。竹園氏はその82年ダービーの勝利騎手インタビューを偶然見たことがきっかけで馬主になったという逸話があり、中央所属の所有馬の多くを岩元師に預けている。
*3 この間、地方GI(Jpn1)のJBCクラシック(2012年・川崎)とかしわ記念(2015年・船橋)をワンダーアキュートで制しているが、中央GIは実に120連敗を喫していた。

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Last-modified: 2025-05-26 (月) 14:33:21