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Official TweetTweets by uma_musu |
最終更新日時:2024-12-26 (木) 19:33:32
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| 画像 | プロフィール | |
|---|---|---|
![]() | 名前 | サムソンビッグ |
| CV | 根本京里*1 | |
| キャッチコピー | ||
| 学年 | 高等部*2 | |
| 所属寮 | ||
| 誕生日 | 4月14日 | |
| 身長 | 143cm | |
| 体重 | 増減なし(もっとビッグに!) | |
| スリーサイズ | B72・W51・H72 | |
| 自己紹介 | ||
2023年11月20日になったと同時に突如として発表されたウマ娘。また、100人目のウマ娘化した競走馬である。
2024/08/23放送の「ぱかライブTV Vol.44 3.5周年記念 サマーパーティー!」でCV・プロフィールが発表された。
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アニメにおいてのウマ娘に関する情報を紹介する項目
1991年、サムソン牧場生まれ、鹿毛。サムソン牧場では唯一の重賞馬である、
父はサクラショウリ。日本におけるバイアリーターク系の立役者パーソロンの初年度産駒で、サムソンビッグも現在では非主流のバイアリーターク系に属する。
(ウマ娘ではほかにシンボリルドルフ、その息子トウカイテイオーとツルマルツヨシ、メジロマックイーン、ダイタクヘリオスが該当。すべてパーソロン系)
母シユンイチオーカンは地方競馬所属、笠松競馬で43戦3勝。その牝系を辿ると史上最強とも呼ばれた変則三冠*3馬クリフジがいる。
デビュー時は馬体重412kg、成長しても450kg前後と名前とは反してかなり小柄な馬であった。サムソンスモール
人懐っこく、洗い場まで手綱なしで厩務員さんについて行ったというエピソードを持つ。
札幌ダートの新馬戦1000mを鹿戸雄一騎手*4騎乗で見事勝利、幸先の良いスタートを上げる。
続く札幌3歳S(GⅢ)ではブービー、クローバー賞(OP)では5着と足踏みするものの、
函館3歳S(GⅢ)で2着、賞金を得ることに成功する。
尚、この函館3歳Sで2番人気ながら6着となった馬が、のちの三冠馬ナリタブライアンである。
これが、サムソンビッグとナリタブライアンの初対決であり――サムソンビッグが唯一ナリタブライアンに先着したレースとなる。
そののちも萩S(OP)(3着)、デイリー杯3歳S(GⅡ)(ブービー、ナリタブライアンは3着)、福島3歳S?(OP)(2着)と連戦を重ね、
朝日杯3歳S(GⅠ)にも出走するもののナリタブライアンの前にブービーに終わる。
明けて4歳(当時、現在では3歳)、シンザン記念(GⅢ)に出走もブービー。
ここまでの成績を見ればわかる通り、OPではそこそこの勝ちきれない成績を残すものの、函館3歳S以外の重賞ではブービーを連ねていた。
これでは次のきさらぎ賞(GⅢ)で人気が出るはずもなく、単勝172倍のぶっちぎった最低人気だった。
しかし、このレースは逃げる馬が存在せず、スローペースの中サムソンビッグが先行する展開となり、
そのままあれよあれよと1着ゴールすることとなる。勝ちタイムは芝2000m良馬場なのに2.07.4という驚異的に遅いタイムだった。
そして、重賞における単勝17200円馬券は、当時はあの二度あることはサンドピアリスに次ぐ2番目の高配当であり、現代でも歴代10位に位置している。
とにかく、重賞馬となったサムソンビッグは、
続いてスプリングステークス(GⅡ)に出走するも、4度目のナリタブライアンのはるか後方でブービーに終わる。
皐月賞のトライアルであるスプリングステークスにブービーだったとはいえ、
ここまで重ねてきた連戦、そしてきさらぎ賞の勝利は、
サムソンビッグにクラシック三冠への出走権を与えることとなった。
……三冠馬が生まれるということは、他の馬にはクラシックレース勝利の栄冠が与えられなかったということである。
サムソンビッグはクラシックレースを、皐月賞(ブービー)、東京優駿(最下位)、菊花賞(最下位)として終えることとなる。
しかも、皐月賞の最下位は発走中に心室細動を起こしており、無事走り終えた馬の中では最下位という結果である。逆三冠
しかし、ナリタブライアンが圧倒的な勝利を重ねる中、同世代で全てのクラシックレースに出走したのは他にサムソンビッグただ一頭であり、
彼が重ねてきたレース(の賞金)は同世代の中でそれだけの価値を認められていたということである。
さて、次の愛知杯?(GⅢ)ではルーキーの渡辺薫彦騎手が騎乗するものの、直線で不意に暴れて内ラチを破壊した挙句に落馬、発走中止となる。
一年のうちで、ブービー、最下位、発走中止をコンプリートすることとなった。
5歳(現在の4歳)は、11戦を重ねるものの惨敗続きて、取り立て語るべきエピソードも持たない。
愛知杯(GⅢ)を最下位で終えた彼は、ついには平地から障害へと転向することとなる。
6歳(現在の5歳)となったサムソンビッグは、
障害未勝利(京都・2910m)に出走することとなる。
新たなパートナーは、93年に障害競走で12勝をマークし、JRA賞最多勝利障害騎手を受賞している、中竹和也*5。
そこでの成績は――コースレコードでの8馬身圧勝。このレコードは、なんと現在すら更新されていないものである。
実は障害でこそ最強だったのか……? と思われたが、このレースの後は400万下を抜けるのに4戦、しかも勝ち上がったところで長期休養に入る。
結局、休養明けに障害オープンレースを3戦して3着、6着、6着と走ったところで引退となる。
引退後は功労馬としてサムソン牧場で過ごす予定だったが、
ほどなくしてサムソン牧場が廃業になった影響か、筑波大学馬術部に譲られ馬術大会にも出場。
気性が荒いエピソードを持つ馬が多いサラブレッドでありながら、大学の馬術馬ができるサムソンビッグは、
例外的に気性の優しいおとなしい馬だったことがうかがえる(愛知杯のことは忘れよ)。
2008年頃に乗馬クラブの那須トレーニングファームに移り、2011年頃までは乗馬をしていたとの目撃情報が残っている。
それ以降の消息は不明ながら、年齢的にも乗馬として一生を終えたものと考えられる。
惨敗しながらもクラシックレースを走り抜けた軌跡は
ネタにしやすいのかよしだみほ著「馬なり1ハロン劇場」でもしばしば取り上げられた。
『スターブロッサム』にて登場。また、ナリタブライアンのことを「ブーちゃん」と呼んでいる。
| 名前 |
|---|
| サムソンビッグ |
| 名前 | レアリティ | 実装日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| - | - | - | 未実装 |
| 名前 | レアリティ | 実装日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| - | - | - | 未実装 |
←板を利用する前にルールを必ずお読みください。
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