最終更新日時:2022-06-25 (土) 12:25:02

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基本情報 Edit

画像プロフィール
サクラチヨノオー.png名前サクラチヨノオー
CV野口瑠璃子
キャッチコピー憧れを追い求めて!
素直な努力家ウマ娘
学年高等部
所属寮美浦寮
誕生日2月19日
身長156cm
体重微減
スリーサイズB80・W55・H83
自己紹介
サ、サクラチヨノオーです!
憧れのあの人と、夢の舞台に立つために
この想い――花開かせてみせますっ!


ウマ娘 Edit

育成ウマ娘 Edit

名前レアリティ実装日備考
[日下開山・花あかり]サクラチヨノオー★32022.01.20

サポートカード Edit

詳細情報 Edit

寮の同室はメジロアルダン
アルダンの育成イベント「運命交わりて」にて言及あり。
チヨノート(CHIYO NOTE)」なるものを所有しており、かなり独特な諺(?)格言(?)をメモしている。

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ボイス Edit

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ヒミツ Edit

  • サクラチヨノオーのヒミツ
    実は、赤い車が通るとつい見てしまう。
  • サクラチヨノオーのヒミツ
    実は、ワサビは平気だけどカラシはだめ。

アニメ Edit

元ネタ Edit

父は不運の名馬マルゼンスキー、母もまた谷岡牧場の名牝サクラセダン。名前の由来は「ウルフ」こと昭和最後の大横綱「千代の富士」。
全兄(父母が同じ馬)の函館3歳ステークスと七夕賞を勝利したサクラトウコウの活躍を受けて生まれた彼は、
まさに父、マルゼンスキーの無念を晴らすかのような生涯を送った。

「サクラ」を冠名とする全演植所有馬の主戦騎手小島太氏が一時の不仲から回復し、騎乗した新馬戦(1987年8月)では単勝1.0倍の圧倒的な支持を受け、その人気にこたえるかのように3馬身半差をつけて圧勝。
2か月後の芙蓉特別(OP)にも1番人気を受けて快勝、続くいちょう特別(OP)は後方からの競馬に挑戦し2位。
そして、父と同じく関東のチャンピオンを決定するG1、朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)へと参戦することとなる。
1番人気を受けたサクラチヨノオーは、父譲りのスピードを武器に、好スタートから2コーナーで先頭でツジノショウグンと競り合い、最後は首差で勝利。
父マルゼンスキーに続いての親子での朝日杯3歳ステークス制覇を達成した。

そして、父とは異なり出走資格をもつサクラチヨノオーは、クラシック路線へと進む。
初戦のトキノミノル記念(G3)は調教不足からか4位と評判を落としたものの、
その反省を生かし厳しい調教を行い、そして次戦、皐月賞トライアルである弥生賞(G2)へと向かった。
相手となるは当時は関西の3歳(現2歳)のチャンピオン決定戦、阪神3歳ステークス(現 阪神ジュベナイルフィリーズ)を圧倒的な末脚でレコード勝ちしたサッカーボーイ。
1番人気を奪われたものの2番人気を受けたサクラチヨノオーは、終始先行策を取ることでレースを作り上げ、見事3歳(現2歳)の東西チャンピオン対決に勝利した。

そして迎える皐月賞。
先行から一時はトップに立つものの、伏兵ヤエノムテキ、ディクターランドの2頭にかわされ3着となる。
この結果に「3着とは言っても内容が悪すぎる」「あれではとてもダービーに期待はできない」等、限界説すらささやかれるようになった。

そして、東京優駿(ダービー)、父マルゼンスキーがルールによって参加を阻まれた因縁のレースが始まる。
サッカーボーイやヤエノムテキに劣る3番人気を受けたサクラチヨノオーは、先行策を実施。
最終コーナーで先頭に立つものの、名騎手たちが駆るメジロアルダン、コクサイトリプルらの猛追を受ける。
最終直線での猛烈な叩き合い、皐月賞の敗北の再現かと思われたレースは、
しかし、その執念からか再び差し返し、ダービー屈指ともいわれる叩き合いの末、ついにサクラチヨノオーはトップでゴール板を駆け抜けた。
終わってみれば2分26秒3、これは当時のダービーのレースレコードである。
サクラチヨノオーは、ついに父の無念を晴らし、ダービー馬となったのだ。
(小島太騎手は1978年(サクラショウリ)以来のダービー2勝目)

……この勝利に、落ちる影がある。
奇しくも父マルゼンスキーと同じようにクラシックレースへの出走を阻まれたスーパースターホース、葦毛の怪物オグリキャップの存在である。
そう、このダービーは、オグリキャップの出られなかったダービーなのだ。
しかも、サクラチヨノオーには、サッカーボーイのマイルCSや、ヤエノムテキの天皇賞といった挽回の機会すら与えられなかった。
父譲りの虚弱脚質か――サクラチヨノオーは、ダービーの後に屈腱炎を発症、1年の休養、さらに復帰はしても最早かつての走りはできなかった。(16位2回)。
結果、彼は屈腱炎の再発とともに引退(1989年6月)、種牡馬となった。
種牡馬としては初年度に皐月賞2着のサクラスーパーオーを輩出したりマイターンなど重賞馬も出すことができたが時代はBTやSS。
G気砲脇呂なかったし重賞馬も2頭と沢山排出できたわけではなくやや低調な種牡馬生活であった。後継も残すことができなかった。
(が同期の中では(サッカーボーイを除けば)唯一重賞馬出せているわけだし内国産種牡馬不遇の時代ということを考慮すると成功と言ってもいいのかもしれない)
その種牡馬も2002年に引退し、以降は功労馬として余生を過ごす。
2012年1月、老衰のため27歳で死去。「老衰とはこういうもの、という感じの穏やかな最期」(出典)だったという。

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